二風谷在住の木彫り職人・岡本朋也さんとの対談 ~前編~
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二風谷ワークスでは、商品の企画や製作を通して、さまざまなアイヌの作り手と一緒に仕事をしています。
今回お話を聞いたのは、木彫り職人の岡本朋也さん。
現在29歳。若い世代の木彫り職人として活動する岡本さんは、どのようにアイヌ文化を学び、木彫りを仕事にするようになったのでしょうか。
二風谷ワークスの萱野、鳥海と話しました。
浦河から札幌、そして二風谷へ
萱野:
まず岡本君、自己紹介をお願いします。
岡本:
北海道の浦河町出身の岡本朋也です。29歳です。
今は「Ainu Crafts pewre」で、木彫りをメインに活動しています。
木彫りだけではなく、アイヌ文様のデザインをしたり、ほかの地域へ行って木彫りの講師をしたりもしています。
萱野:
二風谷ワークスとの仕事でいうと、ramguのカッティングプレートと鍋敷きの木彫りを担当してもらっています。
それから、岡本君がデザインした文様をレーザー彫刻したマグも商品として販売しています。
今回は、普段商品を見てくれている皆さんにも、まず「岡本朋也という人がどういう人なのか」を知ってもらえればと思っています。
そもそも、木彫りを始めたきっかけは何だったんですか?
岡本:
大学生のときですね。
札幌大学のウレㇱパクラブで、本格的にアイヌ文化を学び始めたのがきっかけです。
そこではアイヌ語だったり、踊りだったりを中心にやっていました。



もともとものづくりが好きで、自分で何かを作るのも好きでしたし、人が作ったものを見るのも好きだったんです。
その中で、アイヌ文化の木彫りや工芸をやりたいと思うようになりました。
ただ、大学ではなかなか実際に木彫りをする機会がなくて。4年生のときに有志で何人か集まって、見よう見まねで彫ったのが最初です。
そこから、もっと木彫りについて知りたいと思うようになりました。
札幌大学ウレㇱパクラブとは
萱野:
今出てきた「ウレㇱパクラブ」について、知らない人もいると思うので少し説明します。
札幌大学のウレㇱパクラブは、大学に通いながらアイヌ語や文化など、アイヌ文化について幅広く学ぶことのできる取り組みです。
僕の妻もウレㇱパクラブの一期生なんですよ。
岡本:
そうですね。僕の先輩でもあります。
萱野:
だから、うちの妻と岡本君はかなり似たルートなんです。
札幌大学でウレㇱパクラブに入って、その後に伝承者育成事業に進んでいる。
岡本君は浦河で育って、大学進学を機に札幌へ行ったんだよね?
岡本:
そうです。18歳まで浦河で育って、18歳から札幌に住んでいました。
萱野:
そこから二風谷に来た。今はもう結婚して、子どももいるもんね。
岡本:
そうですね。早いもので、二風谷に来て7年になります。
3年間アイヌ文化を学ぶ「伝承者育成事業」
岡本:
大学に在籍していた頃に、二風谷で伝承者育成事業の第五期生の募集がありました。
それに応募して、二風谷へ移住しました。
鳥海:
伝承者育成事業というのは、具体的にはどんなことをするんですか?
萱野:
正式には、公益財団法人アイヌ民族文化財団が主催する「伝承者育成事業」です。
若い世代がアイヌ文化全般を学び、次の世代の文化の担い手になっていくための事業で、3年間かけてかなり幅広く学びます。
一期から四期までは白老で行われていて、五期から二風谷で行われるようになったんですよね。
岡本:
そうですね。僕が五期生です。
鳥海:
毎日、学校のように授業や実技を受けるんですか?
岡本:
平日は毎日です。朝9時から夕方4時までで、基本的には3時間で1コマという感じでした。
大学の研究者の先生方から歴史について学んだり、地域の職人の方から手工芸を学んだり、アイヌ語を学んだり。
二風谷だけではなくて、ほかの地域へ行って、その地域で行われている儀式を見学することもありました。それを3年間やります。



鳥海:
3年間というと、かなり長いですよね。
岡本:
長いですね。五期生は最初4人いたんですけど、最後まで残ったのは2人でした。
萱野:
3年間、本当にびっちりアイヌ文化を学ぶので、修了する頃にはかなり幅広い知識が身につきます。
一方で、昔からこの事業について言われてきたことの一つが、「3年間学んだ後、それをどう仕事につなげるのか」という問題なんです。
アイヌ文化について幅広い知識を持つ人材にはなれる。
でも、その知識を持っていることと、それで生活していけることは別の問題なんですよね。
だから、本当にその道でやっていこうと思ったら、その後も自分で仕事を作っていかなければならない。
「木彫りで食べていきたい」という思い
萱野:
岡本君の場合は、ウレㇱパクラブで4年間学んで、その後、伝承者育成事業で3年間学んでいる。
アイヌ語もやるし、踊りもやる。手工芸も学んでいるし、アイヌ文化について関わってきた分野はかなり広いと思います。
それでも、その中で木彫りを選んだんですよね。
岡本:
そうですね。伝承者育成事業に入る前から、「木彫りで食べていきたい」と思っていました。
ただ、いきなり木彫りだけで食べていけるわけではないとも思っていました。
だから、まずは自分自身にいろいろな知識をつけたいと思ったんです。
木彫りだけではなく、ほかのところでも勝負できるような知識を身につけて、そのうえで木彫りに進もうと。
でも、根本にある「木彫りをやりたい」という気持ちはずっと変わらなかったですね。
3年連続の北海道知事賞、そして「優秀工芸師」へ
萱野:
工芸展でもかなり賞を取っているよね。
岡本:
ありがたいことに、公益社団法人北海道アイヌ協会が主催する「北海道アイヌ伝統工芸展」で、3年連続で最優秀賞の北海道知事賞をいただくことができました。
鳥海:
3年連続ってすごいですね。どういうところが評価されるんですか?
岡本:
作品の出来栄えだったり、文様のバランスだったり、そういうところを審査員の方が見て評価します。
工芸展には「伝統部門」と「一般部門」があります。
伝統部門は伝統的な民具などが中心で、一般部門では木彫り熊や、現代的にアレンジした作品なども対象になります。
僕は伝統部門に出品して、3年連続で北海道知事賞をいただきました。



萱野:
北海道アイヌ協会では、「北海道アイヌ伝統工芸展」で3回上位入賞した個人を「優秀工芸師」として認定しています。
岡本君は3年連続で最優秀賞の北海道知事賞を受賞して、その基準を満たして優秀工芸師に認定されています。
鳥海:
賞を取られたことで、仕事にも変化はありましたか?
岡本:
ありましたね。
「賞を取った」ということが目に見える実績になるので、それをきっかけに注文をいただくこともあります。
萱野:
職人の技術って、作品を見慣れている人なら分かるんですけど、初めて見る人には「誰がどのくらいの技術を持っているのか」ってなかなか分からないんですよ。
そういう意味では、受賞歴や優秀工芸師という認定は、一つの客観的な評価になります。
岡本君は、若い世代の木彫り職人の中では、もう名前が知られている存在だと思います。
文様だけではなく「形」を見る
鳥海:
岡本さんは、昔から手先が器用だったんですか?
岡本:
そうですね。学校の図工とか技術の授業は、成績が良かったです。
鳥海:
やっぱり、昔から手を動かしてものを作ることが得意だったんですね。
作品ごとに毎回文様を一から考えられているんですか?
岡本:
そうですね。自分が気に入っている文様を彫ったり、新しい文様を考えたりしています。
誰もやっていないような面白い文様を作りたい、ということは常に考えています。
同じような文様を繰り返すより、いろいろ試しながら作る方が自分には合っていると思います。
萱野:
アイヌの木彫りというと、どうしても「文様を彫る技術」に目が行きやすいと思うんです。
でも、実際の工芸はそこだけじゃない。
例えばマキリ(小刀)だったら、鞘の形も、柄の形も、そこに入る文様も、一人の職人が作る。
基本的に分業ではなく、最初から最後まで一人で作るものが多いんですよね。
岡本:
そうですね。だから僕は、形作りがすごく重要だと思っています。
自分で作った形に自分で文様を入れていくのと、誰かが作った形に文様だけを入れるのでは全然違います。
文様がきれいに彫れていても、そもそもの形がうまくできていなければ、一つの作品として自分が納得できるものにはならない。
形作りは重要ですし、難しいところですね。
萱野:
そこはアイヌ工芸を見るときに、ぜひ知ってほしいところです。
どうしても特徴的な文様に最初に目が行く。
でも、その文様が彫られている「もの」そのものも職人が作っている。
マキリだったら鞘の曲線や柄の形も含めて一つの作品なんですよね。
岡本:
形だけを見ても面白いものはたくさんあります。
文様だけじゃなく、一つのものとしてのシルエットや形の出来も見てもらえたら嬉しいですね。

一見すると、まず目に飛び込んでくるのは美しいアイヌ文様かもしれません。
しかし、その文様が彫られるずっと前から、職人の仕事は始まっています。
材料を選び、形を作り、その形に合わせて文様を考え、最後まで一人の手で仕上げていく。
後編では、岡本さんが実際にどのように文様を考え、丸太から一つの作品を作っているのか、さらに詳しく聞いていきます。
そして話は、「上手に彫れること」と「職人であること」の違いへ。
岡本さんが二風谷で木彫りを続ける中で感じた、「職人とは何か」という話にも迫ります。
岡本朋也
Instagram:@inuye_nepki